2011年1月3日月曜日

年賀状。

うちの年賀状です。撮影場所は毎年同じ近所の公園。年末の閉館直前に行って撮ってます。あずまやに続く直線部分が好き。子どもたちが大きくなってきたら、ただ立った3人を写すだけの、四角張った写真しか撮れないんじゃないかと思っていましたが、予想に反して、成長してきた今の方が、迷うくらいの写真を何枚か撮れるようになりました。空がきれいで、慧志のはじけっぷりが異常なこの写真に決めましたが、彼はこの先もこんなテイストで写真に納まるような気がします。
こちらへの年賀状もたくさんいただき、その中にミクシィIDを書いてくれてた旧友にアクセスして、大学時代の友人たちの近況を聞くことができました。友人の名を聞くと、当時の自分も思い出すから不思議ですね。記憶は限界値があるとはっきり思うのが、現在親しい人の名前を頭に入れると、昔の友人の名前を失います。もともと名前と顔を覚えるのが苦手なこともあり、会社に入ってお客さんや上司の名前を覚えたとたんに、大学の人たちの名がぽっかりなくなりました。
無精で日記などもつけていなかったし、卒業写真や名簿もしまい込んだままなので、当時を振り返る手段がありません。実際に会って話せばあふれんばかりに思い出すでしょうね。残念なのが、自分が覚えてる記憶しか思い出せないこと。日記でも書いていれば、行間から、行動の記録から、思い出せることもあるだろうと思うのに。
若い人のブログなど見ていると、今は気軽に記録できるメディアがあって、将来見返すことができていいなと思う反面、もうちょっと行動主体で書けばいいのになとも思います。私もそうでしたが、若いときほど自分が大事なので、「私がこう思った」という日記になるんですよね。そうでない日記は意味がないとすら思った。でも10年20年経って大事なのは、朝何時に起きて何を食べてといった詳細な記録なのだと思うようになりました。歴史上の人物の日記って、読んでるだけで想像力が働いて、どんな風に感じた人間なのかまで伝わってくるでしょう。富士日記も楽しいし。詳細な記録日記、今からでもつけてみようかなあ。

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