今までやっていることはしっかりやっているし、体力がついていかないかと案じてましたが、思いの他、パワフルにがんばっているなとホッとしています。ただ、私の方が物足りないと感じてしまいます。 中学生を一度経た人間だから、この時期が本当に大事なんだろうなと思うのです。 うすぼんやり好きなものは、実は大人になっても変わらないということを知ってしまった。反対に言うと、この時期に、時間を費やしてる何か以上、好きになれるものがあるわけがない、というのが結論なんです。 いつか何かに出会えて、劇的にその道に進みたくなるということは、案外少ない。アスリートになる子どもは、中学生といえば実力を積み上げる時期であって、その道に進む決定はすでにされているでしょう。
職業決定から逆算して、大学は専門性を養うところ、じゃあ高校はその大学に入るための力を養うところ、と考えると、中学生の今は下調べをして、恥ずかしがらずに「この道に進みたい」といえる実力をつけていかなければいけないんじゃないかと思うんです。
本来なら子どもが自分で考えることだと大人は言うんですが、自分で考える力がついたときには、時間が足りないと思います。「よし、こっち」と道を決めたときには、すでにそこを目指して10年以上走ってきた同期がいる。
…そういうことなんだよ、ということを伝え続ける努力をするのが、今の私の役目だと思うと、気が重いでしょ?ただ、主人と話していると、強くそう思うんですよね。好きなことはそう変わらないし、一生働くのなら出来る限り好きの近くで働いた方がいい。そのためには必要なものを揃えないと。しかし、子どもって好きなものっていうと、そのものの最前線にいる職業を言うんですね。
プロ野球選手とか、漫画家とかね。ひねっても編集者とかね。悪いけど、野球選手とか漫画家とか、ホンマに才能ある人ってもう目立ってきてるよ。実際描いてないでしょ?毎日ボール投げてる子だって、全員野球選手になるわけじゃないよ。
こっからは本当に伝えるのが難しいのだけど、例えば手を動かすのが好きとか、リーダーをやれと言われるとか、宿題でも写す方が好きとか、そういう志向の話なんです。「それがあなたの好きなことだよ」とか「こういうことを頼んだら間違いがないね」と本人の自覚の前に見極めるのは、間違いなく他人、それも大人でしょう。
幼稚園児にできることは、確かに中学生は早く確実にできますが、中学生くらいで知っておいてほしいことをやってもらうには、積極的に親が関わる必要があると感じています。
これからは(今迄もそうだったと思うんですが)いい大学、偏差値が高いだけでは、個性にならないように思います。自分で考えられる人になるには、誰かが自分をしっかり見てくれている、サポートしてもらってるという実感が必要だというように感じています。しっかり自立(自分で考えることができる)人は、しっかり愛され面倒を見てもらった人だと感じています。
自分の周囲に人がいると感じれば、客観性が出来、社会の中の一員の自覚ができれば「自分がやりたいこと」ではなく「社会が必要としていること」が見えてくるのではないかと思います。自分がどう処遇されるか、自分をどう扱ってもらえるかということに注力するのではなく、与えられた場所で何が必要か、自分に何ができるかを考えることのできる人に育ってほしいと思っています。
しかし、逆のようですが、場所を与えられ、社会に貢献するにしても、ある程度努力した軌跡がないと、がんばりますから、努力しますからと言っても信じてもらいにくい。わかりやすい成績が必要な場面も多々出てくるので、そんなとこで足元をすくわれないくらいの学歴はあったほうがいいんじゃないかというのも、大人としての意見でして…、兼ね合いと伝えどころが難しいです。
病気になりにくい丈夫な体に育って、ひねくれもせず、まあまあええ感じになったと安心したら、次はハードル高い〜。私がこうしたかった、こういうことを知りたかったというのを、ひとつひとつ思い出しながら、今度は並走できるというのが理想でしょうね。こんなことを言うとヘンですが、子どもたちには尊敬できる部分がたくさんあるので、そこは大事に、つぶれないように見守りたいと思います。

残っていた市販のこしあんで、くいしんぼさんの小豆ショートブレッド。くいしんぼさんのレシピは、ほんのり甘くて簡単に作れるので、残った材料をどうにかしたいというときに、とっても重宝します。(←褒め言葉なんですよ!)
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