藤田和日郎の「からくりサーカス」がアニメ化するらしく、その関連でひめのじさんのツイートがバズっていたと娘が教えてくれた。前に漫勉で藤田和日郎氏出てたよねって録画出してきて2人で見た。この方のこの雰囲気。もし自分のブースに来られて全部お買上げされたらびっくりするだろうな。
初めて漫勉見たときから変わったのは、娘が大学入って漫画描き始めたこと。私は何もやってないけど、娘がウンウン言って授業以外の他の時間全部使って描いてるのは見てる。
藤田氏の「今日1コマ描いたら、明日2コマめ描いたっていいんですよ」(とりあえず書き進めないと白紙のままなのだから)が響く。
漫画やアニメを好きな方たちのコミュニケーションに少々障害があるとして、社会に認知されつつあるけど(これに関しては、どの業界どの趣味分野でも一部そういう人がいる、ていうか社会に一定数いるだけのことで、オタクだけフューチャーされすぎてると思ってるけど)、いったん表現者の側に回ったら、全力で表現しないといけないんだなと、藤田氏の回を見て思った。
藤田氏は、お話上手で、自分の気持を言葉で表現するのに長けた印象だったけど、漫勉で見る他の漫画家さんも、訥々と話す方、一息長く話す方、雰囲気はさまざまだけど、伝わってる?伝えたい!という感じはどの方からもひしひしと感じられた。自分の言いたいことを言い放つだけの人は表現者のレベルには達してなくて、伝わるように表現してはじめて漫画家なんだなと思った。
先日、京都精華大学の卒展を見に行き、ギャグマンガコースの教授をしておられる田中圭一氏に、自分の漫画を持参してた娘が添削していただくという好機があり、私も一緒に講評を聞かせていただいた。
あなたの漫画は、とても美味しいかもしれないけど、どこにあるのかわからないレストランのようなものです。こんな料理を食べたいなあと思ってる人はたぶんいるだろう。でも裏通りに看板もあげず立ってるあなたのレストランまで行くことができない。道標や、メニューが出ていることで、位置がわかるのと同様に、漫画は漫画の体裁をなしてなくてはならない。漫画の決まりごとがあり、それらを守って読者に負担をかけないこと。そしてその後の言葉がとても意外、かつ本質だなと思ったのは
「面白いか面白くないかは、その後の話です」
面白いか面白くないかは、漫画の存在意義のいちばんに来るものだと思っていたが、「面白いよ」の元になった感情は、一言では言えない。展開の先が読めるものであっても、それが理由で面白いときがあれば、ワンパターンで面白くないと思うこともある。しっかりした技術と表現の多彩さがまずあって、漫画の体をきちんとなして、まずそこからの話なのであった。
なんなら技術と表現の引き出しの多さだけで、同じテーマで描いても面白い漫画にすることができる。それが漫画家なのだね。
絵がうまいとか、独創的な視点とか、そういうのはたぶん既存の漫画家を褒め称えるときに出てきた言葉であって、漫画家たるときに最初にありきのものではないのだと気付かされた1日でした。
よくよく考えれば、みんな同じ演目を演じる落語とかクラシックバレエで、「同じ演目でしょ。もう知ってるから新しい人の別に見たくない」とはならないものな。漫画でもそうか。当たり前か。当たり前なのに、言われるまで同じだって気づかなかったなあ。いい1日でした。
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