2012年1月18日水曜日

服を着る。

「大人になったら、着たい服」に出てくる方々と、私の決定的な違いがわかってしまった…!センスとか、欲しいものを買える財力とかじゃなくて、雰囲気のある服を着てもいいステータスなのでした。壷作家だとか、ショップ経営の方は、見た目が変わっていてもいい。いや変わっている方がいい。ひねりのきいた服装も、仕事をやりやすくするために必要だろう。
いいなと思ったものを、そのまますぐに着てはダメなのだ。スタイルブックにのっている服のなかに、自分の顔を入れて、自分の家の門扉の前に立たせてみる。おかしければ着てはいけない。私は埋没しなければならない。主婦の、母の、奥さんの、地域のなかに。誰かに言われておとなしくしているのではなく、主張する必要を感じていないからなのだ。主婦としての私の「場」に、浮き立つ服装はまったく必要ない。ありすぎるのと同様、なさすぎるのも目立つので、ちょうどいいラインを必死に探さなければならない。何を着てもいい自由より、主婦の、母の、奥さんの、その地域にふさわしい、なおかつ私がよく映える服装をしたい。それは私なりのコミュニケーションだと思う。どう見られたいか。どう見せたいか。若いときよりも、ディスコミュニケーションが少ないように思う。それは、つまり私が私をしっかりコントロールできているという証なのだ。
たかが服という人とは、この話は共有できないだろうと思う。

「そういやネコって箱が好きなはず」と、段ボールをリビングに放置した。トラコがふぎゃーんと飛び込んで、耳と目だけ出して見た目可愛く遊ぶかと思いきや、外側をさんざん引っ掻いた後、ケージに戻って監視していた。ぜんぜん可愛くない上に、ゴミになるのかとがっかりして片付けようとしたら、慧志が目をキラキラさせて「いらんねやったら、ボクもらっていい?」。そして自分の部屋へ持っていき、次に兄ちゃんに手をひかれ(階段を下りられないらしい)すっぽりかぶって現れた。お腹に「ロボット」って書いてあります。両サイドには握りこぶしが書いてあり、背中には一直線に細く切った段ボールが貼付けてある。「なに、この背中の」「ジェット!」。ジェットってなんやねん。クオリティ低〜。

2012年1月17日火曜日

ブラック。

コーヒーがブラックで飲めるようになりました。今まではミルクを入れないとダメだったのですが、お菓子と一緒に飲むときに限り、ブラックのほうがいいです。砂糖を摂取するときは、ミルク分が多すぎると気持ちが悪くなるようになりました。
揚げ物もちょっと苦手になってきてます。
胃腸から年寄りに。

冷凍してあったあんこで、久しぶりにあんぱん。ゆるいあんこがぎっしり詰まらせることができるのも、自家製ならでは。

2012年1月16日月曜日

つよいこども。

榎田尤利の「夏の塩」「夏の子供」読む。
ボーイズラブカテゴリなのが惜しいくらいに良い本でありました。
自分がなりたいと漠然と思っていたあこがれの人を、本の中に見つけました。 つよいこどもになりたい、つよいこどもになりなおして、つよい大人になっていきたかったのだけど、もうすでに大人になってしまったので、あこがれは現在進行形ではなく、こういう人であったならなあという半分あきらめの入ったものなのですが、主人公の魚住くんに強い憧憬を抱きました。
世の中の基準の、子どもにふりかかる不幸ランキングで、かなり下位になったと思われる「親の離婚」ですが、私を形成するのに、それが及ぼした影響というのはやはり大きいと思っています(両親のいる家の子どもとしての自分がいないので比べようがないのですが)。 世間一般の認識として、その不幸は乗り越えるべきものであり、囚われるものであってはならず、あなたが大切な子どもであることは間違いがないので、そのことを何かできない言い訳にするのは、まったくもって弱い印であると思われているように思います。世間の認識のみならず、当事者の子どももそう思っています。
会社時代、当時の上司に、トチ狂って言い訳をしていたら「おまえ、いつまで親の離婚を(できない)言い訳にしてるねん」と言われたとき、自分でもびっくりするくらい傷ついたのを覚えています。 主人にそのことを話したとき(傷ついたんだよ、という話し方ではなく、そういうふうに言われたんだよ、当たり前だよね…といった感じだったと思います)、「いつまでって、大きなお世話やんな。終わりは自分で決めていいし、終わらせる必要もないと思うよ。そのことを自分の中に持っていてもいいと思う」と言ってくれたのが、非常にありがたかったのです。
誰に頼まれてもいないのに、私は「かすがい」になれなかったと自分を責めていたのです。私がもっと可愛かったら、私がもっとできる子どもだったら、私が綱になって母親を引き止められたかもしれなかった。そういう感情は、離婚した家庭の子どもは必ず思うことなんだと本で読んだり、いちばん大きなことは、自分が親の側になって、離婚はあくまで親の都合であり、子どもはまったく関係ない、むしろ被害者と実感できて、憑き物が落ちていったように思います。長女を生んだ後は、こんなに愛おしい子どもを置いていったのはなぜなんだろう、親自身と私自身の価値において「負けた」ということがつらく苦しくてよく泣きました。しかし長男、次男を生むに従い、その天秤自体が意味のないことだと思えてきて、親が若かったことや、家庭環境を考えて、勢い仕方なかったんだなというところまで来ました。
よわいこどもでいることがイヤで、つよくなろう、つよくあろうとしていた、そのことこそが、どうしようもなく弱いことである象徴なのだと、今は思います。 魚住も最初はよわいのだと思えました。でもよわい自分から逃げない。つよくなろうとも思っていない。ただ大切なものを大事にするためにはどうしたらいいかを考えている。そうやって、しぜんと強くなっていくのです。
つらいことがあっても笑っているとか、人前ではぜったいに泣かないということは、プロセスだからあってもいいと思います。でもそれは、やってるうちに暗示にかかるようなもので、本来の強さではない。大切なものができれば強くなる。愛されたいと思うより、愛したいと思うことが、強さへの一歩なのだと思います。
良質なボーイズラブには「求めてばかり、嘆いてばかり、少ない、守られる」側から、多くを与える側への変換をテーマにしたものがあり、またそういうマンガや小説が読者の指示も高いことを考えると、男と男というのが必要なのではなく、自分を想起させない性を主人公にして、自分の再生、育て直し、娘から女への変化を受け入れるということを求めているのだと思います。そういうの、BL論なんかでは定番に語られているのでしょうねえ。社会人枠で受け入れてくれるジェンダー論なんかを学びに行けば、さくっとまとめてくれていそうな気がしますが、私はあまり論として打たず、なんとなくのぼんやりテーマで、自分のなかにずっと抱えていたいと思っています。

2012年1月2日月曜日

ヨウコ、13歳。

12月24日には、恒例の庸子の誕生会&クリスマス会をすることができました。今年は塾の冬期講習と、クラブがみっちり詰まっていて、空いていたのが24日の昼のみ。これ、聡太郎が中学生になって、クラブが違ったら空いてる日程がなくなるのではないだろうか…。
いずれできなくなるとしても、ま、今年は滞りなく。やる気を奮い立たせて、ケーキと料理を作りましたが、ケーキのクオリティは年々下がっていくような気がします。デコレーションがなあ…。味はよくなっていってると思うのですが。生クリームは、乳脂肪分35%がいちばん扱いやすく、くどすぎないように思います。スーパーでもこの時期だけ、タカナシの生クリームが買えるようになったので、前もって通販する必要もなくなりました。料理はレンコンハンバーグの煮込みと、ホタテのカルパッチョサラダ。買ってきたバゲットと、持ってきてくれたケンタッキーのフライドチキンでした。
プレゼントは、3DSのソフト「イナズマイレブンダーク」が聡太郎に、「イナズマイレブンシャイン」が庸子。「マリオ3Dランド」が慧志でした。最初に欲しいもののリクエストを聞いたところ、このソフト名が上がったので「ハイハイ」と聞いて予約購入までしていたのに、テレビコマーシャルがさかんにかかるようになった12月中旬になってやっと気付いたんです。「あれ…?これって3DSなんじゃないの?」「そうですよー」「えっ、えっ、ちょっと待って。慧志は3DS持ってるけど、庸子と聡太郎はDSやんか」「そうですよー」「そうですよって、どうすんの?お正月の間、順番に並んで慧志の3DS空くのを待つわけ?」「それしかないやろなあって言ってるんやけど、どうするかなあ」。
さすがに子供たちとしても、知ってはいたけど、ハードまでお願いする勇気がなかったようです。安くなったとはいえ、高いもんねえ。 しかしながら、普段は塾とクラブと宿題でまったく時間がなく、まとまって遊べるお休みの期間を、ほぼ並んで待つというのも…ううむ。考えた末、本体も一緒にプレゼントすることにしたのでした。高い買い物でした。ホント。
ちなみに主人へのプレゼントも、3DSでした。なぜ。

2012年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
1ヶ月に1回、更新できるかできないかのホームページを見に来て下さりありがとうございます。今年度の更新頻度も、昨年同様か、もしかしたらそれ以下に落ちそうなのですが、できるかぎりがんばります。どうぞよろしくお願いいたします。
年末は、ヨウコの部活と塾の冬期講習で、年末モードに切り替わったのは、12月29日。この日に年賀状の写真を撮りに行き、えいやで仕上げてその日の夕方に投函しました。写真は、今年の年賀状に使ったものです。思春期を迎えた庸子が一緒に撮ってくれるかどうかわからなかったのですが、今年も無事一緒に納まってくれました。いつも撮りに行く近所の公園が、お正月休みに入って門が閉まっていました。うわ、どうする。しかしめげない。門の前で撮りました…。いいのよ、3人一緒ってのが大事なんだから、背景はどうでも…。毎年思いますが、慧志がいい感じに写ってくれるので助かります。彼がいることで、なんというか、アクティブな写真になってるような気がします。
大掃除は今年はかなり省略しちゃいました。窓拭きとカーテンを洗ったぐらい。キッチンは11月末にしたし、お風呂は12月はじめにやったので、もういいかと。 しかしおせちはしっかり作りました。30日までは本当に「もうできない」と思っていたのですが、材料を買いに行くとモードが切り替わって作れました。30日の夜から黒豆を水に漬け始め…31日の朝からはじめたら、何とか用意ができて「笑ってはいけない24時」が見れました。毎年、紅白を見るのが通例のようになっていましたが、もうなんというか、知らない人ばかりで苦痛でね。普段私が撮りだめしてるお笑いを見ている聡太郎が、当然のようにガキ使いにチャンネルを合わせて…紅白のときはとても起きていられなかった子供たちが、笑いながら起きていました。あの番組を子供に見せてええもんかどうかわかりませんが…まあお正月だしいいか。小さい慧志は、眠たくなってしまい10時くらいに寝て、庸子と聡太郎は「あけましておめでとう」を言ってから寝ました。
おせちも今年は2日目までにほとんどが食べ尽くされ、子供が食べるようになった!と思いました。かずのこは嫌いみたいなんですが、くわいは子供対策で、揚げ煮にしたり、ごまめも冷蔵庫に残っていたクルミとカシューナッツと一緒にあめがけにしたので、箸が進んだようです。 今年は黒豆が大成功で嬉しかったです。はじめてしわの寄らないふっくらした黒豆ができました。 本当にしわのない光った豆は美しいです。縁起がよいわい。

2011年11月30日水曜日

びっくり。

まさかあの人がと思っていた人が当選したのでビックリしてしまいました。軽く1日は落ち込んでしまいました。しかしながら、自分があの人を掲げる市に住み続けていたら、やっぱりあの人を望んでいたかもしれないなと思います。こちらに来て、ずいぶんものの見方が変わったと思うので。
少し外に出てながめると、独裁というならそれでいいと言う人を選挙で選ぶってことが本当にあり得るんだという感じです。ヒトラーは軍隊を引き連れてドイツを乗っ取ったんじゃなくて、選挙で勝ったのだった史実が浮かびました。強いものが勝つ、自己責任の社会だと言い切る人を選べるような(それに耐えうるような)市民性ではないと思っていたけどなあ。むしろ弱者に優しい、人情に弱い、そういう市民かと。「少々の痛みに耐えてもらわないといけない」と言っていた人も人気あったけど、その後この国が辿った道は多少の痛みってどころか。
あの人への期待は「変えてほしい」らしい。今のままではどうにもならんから、多少荒っぽいことをしても変わる方がいいということでしょうか。事前に見込めない浮動票が大きく流れてこの勝利があったらしい。若い人がしっかり思考して投票したのかな。語弊があるかもしれませんが、教育から変えないと何も変わらないとしているあの人が、その「どうしようもない」教育を受けた若者に指示されて勝利したというのが皮肉。
「変わる」ことは、どうも最近推奨されてるんだなと痛感しました。確かに変わる、変わりたいという本が多い。基本、現状維持で、変えるべきところは変えるというスタンスは、今はまったく評価されないんだなあと悲しくなりました。 まあ確かに「とりあえずやってみて、あかんかったら方向転換」という人生設計では、簡単に変えないとダメだと思いますけど、「人生やり直しはきかない」という意識で、必死に積み上げていってたら、ダメだといってそう簡単に切り替えられないと思うんですね。しかし、最近どうも後者に対しては、頭が固いとかあまりいい評価がないように思います。
1人でも反対の人がいたら、しっかり理由を聞いて、取り入れるべきは取り入れるという姿勢には、確かに時間がかかりますが、そもそもそのみんなで考えてやっていこうというのが民主主義じゃないの?反対があっても、民意を得たのはこちらなので、勝手にいきまーすというのは、本当にそれがスピード感あっていいと思ってるの?そこが納得できません。こわい。
ゼロリセットは潔いかもしれないけど、リスクが高い。そして変われと言う人自身は変化を嫌うことを、そしてあの人の最終目標は「変えたってほしいわあ。ナンボでも切ったりーや」と他人事のように言う一般市民の方ではないのかという怖さを考えたのかなあと思いました。
対立候補がそれらを考えていたというのではないですが…極端な方に一票を投じてしまう大人がそんなにいるとは思っていなかったので、驚いた次第です。本当にびっくりしました。

2011年11月23日水曜日

6時を超えること。

いつだったか、よい睡眠を取るには、夜の12時と、朝の6時を寝ていることがポイントと聞いたことがあります。良質な睡眠方法で調べると、いろんな情報があります。その人の体質や体調によるから、すべてのパターン分の良い眠り方があるということで理解していいのだと思います。なので私の聞いた情報が真実かどうかはわかりませんが、私に限っていえば、11時半くらいに寝て、6時半くらいに起きると非常にスッキリしています。40歳以降は、早くに寝て遅くに起きても、肩が凝ったり背中が痛かったりで、よけいにしんどかったりします。それくらいの時間がちょうどよいのです。
しかし、この4月以降、その時間帯で寝られる日は数えるほどしかありません。だいたい1時寝の5時起き。ずらせるときは12時半寝の5時半起き。原因はヨウコのクラブです。土日もほぼ練習があって、お弁当がいるからです。出発も早いので、それなら主人も早く出たいと言い出しまして、6時半の朝ごはんというのが定番になりました。
その時間までに朝ごはんとお弁当を作ってしまおうと思うと、5時起きというのがちょうどよくなるのです。やっぱりかなり眠いので、昼寝を試みたこともあるのですが、昼寝というのはあまり休まらないんです。寝たあとに使い物にならなくなるのもめんどくさい。しっかり寝るより、墜落するようにうつら…っと一瞬深ーく寝る方が、満足感は高い。3時くらいにサトシの音読を聞きながら墜落することが多いです(サトシすまん)。
私にとっての簡単な幸福は、6時を超えて寝ることです。6時半までというのが、ちょうどいいです。7時まで寝ると、その後のスケジュールが混むので、アイミツを取って6時半。ああ、6時半まで…寝たい…。 しかし同様に中学生のお子さんを持つお母さんは、同じような睡眠時間に、さらに仕事したり、土日にスポーツクラブに通ったり、地域のママさんバレーに行ったり、朝夕の犬の散歩をしたり、親の介護をなさってる方もいらっしゃって…。デスパレートな妻たちのリネットの「ねえ、みんなどうやってやりくりしてる?」というセリフを思い出します。