2011年11月16日水曜日

誕プレ。

41歳の誕生日を迎えました。主人が半殺しというかほぼ死んでるスケジュールで働いていて、祝い事とかいう雰囲気ではありません。普段から好き勝手させてもらっているので、まあ特に今日なんかしてもらわんと!という気持ちも特になく。でも言っておいた方がいいのかなあと、「今日で41歳になりましたー」と朝食のときに言いました。「ええっ」と驚く子どもたち。「何も用意してないよ」「まあまあ、今日がそういえばマラソン大会だし、10位に入ってくれたらいいプレゼントになるよね」と軽口を叩くと、聡太郎が「絶対無理や…」と泣きそうです。「試走で59位だったっけ?じゃあ50位までに入ってくれればいいよ」と言いました。
ここ数年、私の誕生日が小学校のマラソン大会と重なっています。今までそんなふうに順位を何かの引き換えにしたことはなかったんですが、2年生頃まではいい感じで走れていたソウタロウが、マラソンいややーみたいなことを言ってるし、背が高くて、心肺能力も問題なさそうな君、がんばればいい結果が出せて、それによってまた走ってみようかなという気になるから、ちょっと真剣に走ってみやがれという気持ちで言いました。
しかし我が身を振り返ってみれば、「いくちゃん、そんなに背が高くて歩幅も大きいんだから、足を早く動かせばもっと早くなるって!」と150cmの友人に励まされたことが苦痛だったんでした。できてれば苦労してないって…。その早く動かすってところがミソなんじゃねえかよ…。
運動が苦手なヨウコに早く走れというのは、自分のつらかった経験からも遠慮していました。それなのに、同じように大して運動が得意でもないソウタロウに「走れ」というのは、私の中の「男の子はスポーツ得意な方がかっこいい」固定観念によるところが大きいんだろうなあ。しかし「走れ」と言いながら、何か協力しているのかといえばそういうわけでもないので、無茶な話ですね。
スポーツで結果を出せというのは、絵を描いて全国で表彰されて!と頼むのと同じくらい、酷なことのような気がします。当日の調子とか能力がとても左右する。出題範囲のわかっているテストで100点取れというほうが、よっぽど簡単なのに、100点を取るより順位を上げろという方を、ぺろっと軽く言っちゃう傾向にありがちなのは、なんなんでしょうねえ…?
そんなふうに、言った後からけっこう真剣に「申し訳なかったなあ」と反省した軽口でしたが、ソウタロウはそれが私の望みだと真剣に受け止めてくれたらしく、見た目はえらくがんばってるように見えました。結果は51位でしたけど、がんばって走ってる様子が見えたのが嬉しかったです。
ソウタロウが「51位だった!」というので「ありがとうございました。でも約束には1つ足りひんかったね」というと「そんなん言わんといてやー」と笑顔でした。母の希望に応えようとしてくれる息子というのは、可愛らしいものだと思いました。体は大きくなったけど、まだお母さんを好きでいてくれるんやなあと、うれしかったです。
確か朝食の席で同じように話を聞いていたはずなのに、何位に入るとも、そもそもお母さんにプレゼントとか、そんな話ひとつ出なかったサトシは「がんばるでぇ!」と言って学校に行き、26位でした。終始笑顔で走っていたのが印象的。彼のマイペースっぷり、誰にどうとか何になるとか無関係な明るさは、やはり私をなごませます。おまえはずっとそれでいけ。しかし弟のその感じ。なんか勝手に思い込んで、勝手に強いられてる兄ちゃんと対極で、ソウタロウがちょっと可哀想な感じもします。

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