toujours---means 'always' in French.
I love my days.
I love my family, I love my cat, I love music,I love cooking. I love all of my life!
2018年4月20日金曜日
岡崎体育おもしろい。
HeyHeyNeoで見て、おお、と思っていまハマってます。
何年か一度よく出てくるタイプだと思ってたけど、力の抜けようがいいね。
長女から聞いたナポリの男たちの番組聞いて、そっからこのビデオ見て笑ってる。
自宅の机の赤本が効いてる。
2018年3月30日金曜日
次男、13歳。


29日は次男13歳の誕生日でした。
中高一貫の私立中に行ってますが、高校受験がないからいいやんと思っていたのが大間違い。定期テストで毎回神経すり減らす思いをしています。希望のクラスに上がるための条件があれこれあって、資格も必要だし、点数も必要。他のいろんな経験をしてほしいと思って入ったつもりが、もとの素養が少ないから1個1個積むのに時間がかかって、後追いの勉強ばかりせなあかん感じで過ごしてます。まあ学生の間は勉強づくしで間違ってはないとは思いますが。
そんななか、誕生日プレゼントは何がほしいと聞いたら、漫画描いてるお姉ちゃんに触発されたのか、ペンタブレットがほしいというので、買いました。お姉ちゃんと同じモデル。
買った日から、今まで勉強の合間の、ゲームやスマホに割いてた時間をすべて費やして絵を描いております。
ふーん。そんなことしたかったんかーという感じ。
最初にしては、操作も難なくできてて、すぐに飽きるんかなあという心配も杞憂でした。
親としては「経験」をさせてやりたいと悩むけど、待ってたら本人が「これがいい」と言うてくるんですね。そうだった、そうだった。
ついうっかり、中学生には親が手を貸してやらんとあかんのかと思っていたけど、上の子たちも、私がどう?と言ったものはすべて拒否で、本人がやりたいことしかやらなかったのだった。
待てばいいだけだった。忘れてたよ。
アメリカン・ミュージック・アワードのダイアナ・ロス。
NHK-BSでやってたアメリカン・ミュージック・アワード2017を見ました。
AMAは、必ずその年の話題を入れてくるし、視聴者に人気のある人が出るので、グラミーより楽しくて毎年見ています。
ホイットニー・ヒューストンのメドレーを、クリスティーナ・アギレラが歌ってた。他の人が歌うことによって、ホイットニーすごかったんやなと再認識するいつものパターン。
いい歌揃いやったんや、ボディーガードのアルバム。映画が私にはちょっとアレで、あんまり印象に残ってなかったんだけど、アルバムほしくなった。
そして大ラストにダイアナ・ロス。73歳なんだね。キャリアが長すぎて、マーヴィン・ゲイとデュエットしてて、マイケル・ジャクソンに尊敬されてて、ビヨンセがシュープリームスの映画に出てて、ってなると期間が長すぎて、いったい何歳なんだ!って思ったけど、意外にお若かった。しかし、その体型、そして歌唱力。東京ジャズに出てたチャカ・カーンとか、ブルース・ブラザース2のアレサ・フランクリンとか見たからか、えっと…ダイアナ・ロスすげくね?って思いました。この日のためにトレーニングしたのかもしれないけど、衰えなさすぎるでしょう!
彼女の家族が舞台にのって、娘さん、息子さん、お孫さんまでいーっぱい。お友達のスモーキー・ロビンソンらも、そして客席には「ドリーム・ガールズ」に出てたジェイミー・フォックスもいて。若くして成功して、73歳まで元気に生きて、家族たくさん作って。
ホイットニーやマイケル、プリンスはすでに鬼籍だよ。ダイアナは奇跡なのかもしれない。
2018年3月27日火曜日
あんさんぶるスターズ。
いまさらながら、あんスタを始めて、かなり前に始めたけど一度やめてた娘ともキャッキャ言いながらやってます。
たまたま娘の推しと私の気に入った子が同じだったんで、盛り上がっちゃったのですね。
夕飯の後、ちょこっとやってたら…
すごく離れたとこに座ってた長男が「あ、それあんスタやろ?」って言うんで
(すごい離れたとこからよく見えるなあ〜)「そうやで。よう知ってるな」
「ぼく前にやってたから」
(ええっ、これ乙女ゲーやけど…高校生の長男が?やってた?)「ああ、そうなんや」
「ぼく好みのイケメンがおらんかったからやめたんやけど」
「ぼく好みのイケメン?!」(あかん心の声がそのまま出た!)
「韓流ぽいのとか、マッチョとか」
なんかいろいろ衝撃を受けた会話でした。
たまたま娘の推しと私の気に入った子が同じだったんで、盛り上がっちゃったのですね。
夕飯の後、ちょこっとやってたら…
すごく離れたとこに座ってた長男が「あ、それあんスタやろ?」って言うんで
(すごい離れたとこからよく見えるなあ〜)「そうやで。よう知ってるな」
「ぼく前にやってたから」
(ええっ、これ乙女ゲーやけど…高校生の長男が?やってた?)「ああ、そうなんや」
「ぼく好みのイケメンがおらんかったからやめたんやけど」
「ぼく好みのイケメン?!」(あかん心の声がそのまま出た!)
「韓流ぽいのとか、マッチョとか」
なんかいろいろ衝撃を受けた会話でした。
2018年3月23日金曜日
りんごケーキ。
訳アリりんごを2つ放置してたので、りんごケーキを作る。本当は型に入れて焼くのだけど、2倍量だたので入れられる型がなく、天板で広げて焼きました。くいしんぼさんのレシピで大好きなさつまいもとりんごの天板ケーキとは似て非なるもの。やっぱり型に入れた方がよかったかもしれない。
2018年3月16日金曜日
オールレーズン作った。
オールレーズン急に食べたくなって作りました。https://t.co/2pNUFPPgpv #cookpad pic.twitter.com/POx6jy8iKw
— よそのひと (@toujours513) 2018年3月8日
藤田和日郎氏の漫勉と、京都精華大学の卒展の話。
藤田和日郎の「からくりサーカス」がアニメ化するらしく、その関連でひめのじさんのツイートがバズっていたと娘が教えてくれた。前に漫勉で藤田和日郎氏出てたよねって録画出してきて2人で見た。この方のこの雰囲気。もし自分のブースに来られて全部お買上げされたらびっくりするだろうな。
初めて漫勉見たときから変わったのは、娘が大学入って漫画描き始めたこと。私は何もやってないけど、娘がウンウン言って授業以外の他の時間全部使って描いてるのは見てる。
藤田氏の「今日1コマ描いたら、明日2コマめ描いたっていいんですよ」(とりあえず書き進めないと白紙のままなのだから)が響く。
漫画やアニメを好きな方たちのコミュニケーションに少々障害があるとして、社会に認知されつつあるけど(これに関しては、どの業界どの趣味分野でも一部そういう人がいる、ていうか社会に一定数いるだけのことで、オタクだけフューチャーされすぎてると思ってるけど)、いったん表現者の側に回ったら、全力で表現しないといけないんだなと、藤田氏の回を見て思った。
藤田氏は、お話上手で、自分の気持を言葉で表現するのに長けた印象だったけど、漫勉で見る他の漫画家さんも、訥々と話す方、一息長く話す方、雰囲気はさまざまだけど、伝わってる?伝えたい!という感じはどの方からもひしひしと感じられた。自分の言いたいことを言い放つだけの人は表現者のレベルには達してなくて、伝わるように表現してはじめて漫画家なんだなと思った。
先日、京都精華大学の卒展を見に行き、ギャグマンガコースの教授をしておられる田中圭一氏に、自分の漫画を持参してた娘が添削していただくという好機があり、私も一緒に講評を聞かせていただいた。
あなたの漫画は、とても美味しいかもしれないけど、どこにあるのかわからないレストランのようなものです。こんな料理を食べたいなあと思ってる人はたぶんいるだろう。でも裏通りに看板もあげず立ってるあなたのレストランまで行くことができない。道標や、メニューが出ていることで、位置がわかるのと同様に、漫画は漫画の体裁をなしてなくてはならない。漫画の決まりごとがあり、それらを守って読者に負担をかけないこと。そしてその後の言葉がとても意外、かつ本質だなと思ったのは
「面白いか面白くないかは、その後の話です」
面白いか面白くないかは、漫画の存在意義のいちばんに来るものだと思っていたが、「面白いよ」の元になった感情は、一言では言えない。展開の先が読めるものであっても、それが理由で面白いときがあれば、ワンパターンで面白くないと思うこともある。しっかりした技術と表現の多彩さがまずあって、漫画の体をきちんとなして、まずそこからの話なのであった。
なんなら技術と表現の引き出しの多さだけで、同じテーマで描いても面白い漫画にすることができる。それが漫画家なのだね。
絵がうまいとか、独創的な視点とか、そういうのはたぶん既存の漫画家を褒め称えるときに出てきた言葉であって、漫画家たるときに最初にありきのものではないのだと気付かされた1日でした。
よくよく考えれば、みんな同じ演目を演じる落語とかクラシックバレエで、「同じ演目でしょ。もう知ってるから新しい人の別に見たくない」とはならないものな。漫画でもそうか。当たり前か。当たり前なのに、言われるまで同じだって気づかなかったなあ。いい1日でした。
初めて漫勉見たときから変わったのは、娘が大学入って漫画描き始めたこと。私は何もやってないけど、娘がウンウン言って授業以外の他の時間全部使って描いてるのは見てる。
藤田氏の「今日1コマ描いたら、明日2コマめ描いたっていいんですよ」(とりあえず書き進めないと白紙のままなのだから)が響く。
漫画やアニメを好きな方たちのコミュニケーションに少々障害があるとして、社会に認知されつつあるけど(これに関しては、どの業界どの趣味分野でも一部そういう人がいる、ていうか社会に一定数いるだけのことで、オタクだけフューチャーされすぎてると思ってるけど)、いったん表現者の側に回ったら、全力で表現しないといけないんだなと、藤田氏の回を見て思った。
藤田氏は、お話上手で、自分の気持を言葉で表現するのに長けた印象だったけど、漫勉で見る他の漫画家さんも、訥々と話す方、一息長く話す方、雰囲気はさまざまだけど、伝わってる?伝えたい!という感じはどの方からもひしひしと感じられた。自分の言いたいことを言い放つだけの人は表現者のレベルには達してなくて、伝わるように表現してはじめて漫画家なんだなと思った。
先日、京都精華大学の卒展を見に行き、ギャグマンガコースの教授をしておられる田中圭一氏に、自分の漫画を持参してた娘が添削していただくという好機があり、私も一緒に講評を聞かせていただいた。
あなたの漫画は、とても美味しいかもしれないけど、どこにあるのかわからないレストランのようなものです。こんな料理を食べたいなあと思ってる人はたぶんいるだろう。でも裏通りに看板もあげず立ってるあなたのレストランまで行くことができない。道標や、メニューが出ていることで、位置がわかるのと同様に、漫画は漫画の体裁をなしてなくてはならない。漫画の決まりごとがあり、それらを守って読者に負担をかけないこと。そしてその後の言葉がとても意外、かつ本質だなと思ったのは
「面白いか面白くないかは、その後の話です」
面白いか面白くないかは、漫画の存在意義のいちばんに来るものだと思っていたが、「面白いよ」の元になった感情は、一言では言えない。展開の先が読めるものであっても、それが理由で面白いときがあれば、ワンパターンで面白くないと思うこともある。しっかりした技術と表現の多彩さがまずあって、漫画の体をきちんとなして、まずそこからの話なのであった。
なんなら技術と表現の引き出しの多さだけで、同じテーマで描いても面白い漫画にすることができる。それが漫画家なのだね。
絵がうまいとか、独創的な視点とか、そういうのはたぶん既存の漫画家を褒め称えるときに出てきた言葉であって、漫画家たるときに最初にありきのものではないのだと気付かされた1日でした。
よくよく考えれば、みんな同じ演目を演じる落語とかクラシックバレエで、「同じ演目でしょ。もう知ってるから新しい人の別に見たくない」とはならないものな。漫画でもそうか。当たり前か。当たり前なのに、言われるまで同じだって気づかなかったなあ。いい1日でした。
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