強固に刷り込まれた記憶が間違っていた場合、それを塗り替えるのが容易でない。主人が両親とよく行ったプールは○○プールであるのだが、父母ともにそれがなぜか△△プールになっていて「△△プール、よく行っただろうが」と言われる。一度も行ったことのない主人は最初話をあわせていたが、あまりに言われる回数が多いため、ある機会に訂正したのだが、けっこう反論されたので、ねじふせるように真実を言うも、次の機会にはまた△△プールに戻っていてがっくりというオチだった。
夫婦二人で話しているうちに、あやふやな記憶に肉付けがされ、脳内で同じムービーが作成されて、記憶の共有に至ったのだろう。実際にない記憶を、あたかも経験したかのように思い違いをする、そんなことがあるのかなあと思っていた私だが、最近は、確実にそこへ向かう自分を実感することが多い。
具体例を思い出そうとして思い出せるのがこれしかないのが情けないのだが、「ゴミ袋の厚みは、0.020mmあれば充分である。わざわざ高い0.025mmのを探して買う必要はない」を、何度唱えても、0.025のゴミ袋をうろうろ探す自分にハッとなる。これは昔々、実家でぎゅうぎゅうに詰めたゴミ袋を結ぼうとして、中身をぐいっと押し込んだ際に、ピッと破れて結局2枚使うはめになり、下手うったらゴミがこぼれ出てえらい大変という経験をした父が「安いゴミ袋はアカン!」と叫んでいたのを何度も目にした記憶によるものだろう。最近は安いゴミ袋でも、伸びがよいというか、小さい穴があいて「しまった!」と思っても、そっから縦にものすごい勢いでシャーッと裂けることが少ないように思う。それなのに、10枚で298円とかするめっちゃ割高のゴミ袋を買ってしまう…そのたびに「ちがうちがうちがう」と思うのだが、塗り替えられない。 これは記憶の塗り替えがうまくいかないというよりは、確実に作業できる方を選びたいという気持ちの問題かもしれない。
無印良品のパーツに分かれているソファの、背もたれを動かして基地を作り安穏とするトラコ。この後、できた隙間で気持ち良さそうに昼寝をかましていました。座れへんねんけど!

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