ここ数年で「あれ出して下さい」「捨てましたよ」「え、いるのに〜」という経験が2回ほどありました。それから少し考えが変わりました。
10年に1回くらいしか使わないものに対しての人の考えはいろいろでしょうが、10年に1回しか出番がないものを、「置いておく」VS「新たに買う」で、「新たに買う」苦痛の方が、私にも大きくなってきたんです。完璧に無駄ですもんね。そして、同じようなものを探して買うのが案外難しい。なんとか探して買っても、まったく一緒でなかったり、昔のものより作りが甘くなっているものがあるなあと思いました。
私が若い頃でもそういうことはあったんでしょう。こっちが年を取って、新しいものに対応できなくなってるだけかもしれない。あるいは目が肥えて見極める力がついたのかもしれないし、必要な機能とそうでない機能をしっかり理解してるだけかもしれません。どの理由かはあまり判然としませんが、最近は「あー、あの壊れたのんと同じやつがほしい〜」と思って、スーパーを転々とすることが増えたような気がします。だから、たとえ「これと同じもの下さい」と持っていく見本としてでも、置いておくのがいいと思うようになりました。
主人にそう言うと「そうやろ」とニヤッと笑って「でもどっちかが捨てていかへんかったら、ゴミに埋もれて暮らすことになってしまう」と言ってました。そうだね〜。 うまいことしたもんで、夫婦でどっちも捨て派、どっちも溜め込み派というのは少ないような気がします。夫が溜め込めば、妻がやいやい言って捨てさせる。妻が捨てられないと、夫がこんこんと説得する、といった感じでカップルになっているような?
脳が固くなって、新しいものに対応できなくなってるというだけではないなと思う今日このごろ。やらねばならぬことがどんどん増えているような気がします。じっとしているように見えたおばあちゃんも、きっと頭の中では段取りがぐるぐる回っていたのね…上の空で返事していたお母さんの頭の中でも、やらねばならぬことのリストアップをしていたから、私の話を聞いていなかったのねと思います。決して脳が硬化していたわけではなく(今の私も同じよ…ごめん、子どもたち)!忙しいと、作業時間を完全に読み切りたい。いつもと同じ時間で終わらないと、次の作業にずれ込みます。だから新しいものはノーサンキューなのだね。お中元のビール詰め合わせセットくらいのでっかい洗濯粉を、それだけ買うために買い物に行っていた祖母や、ペットボトル1リットルくらいの台所洗剤を買い続けてる義母の気持ちがわかりだした今日この頃。使い心地とか、手順が変わるのがめんどくさいんですね。めんどくさいの裏側には、必ず体の不調がある。元気でいたいなあ。手順をふんで、丁寧に生きるのには、体力がいりますね。

そういや見つけたら買うのシリーズ、フリトレーの「チートス」もそうなんですが、これまた実家の父も好きだったものでした。こっちは久しぶりに買って食べたら、あまりのチーズの匂いと味の濃さにびっくり。これをもりもり食べてたのか…。
0 件のコメント:
コメントを投稿